東京高等裁判所 昭和53年(行ケ)113号 判決
一 請求の原因一ないし三の事実は、当事者間に争いがない。
二 そこで、原告主張の審決取消事由の存否について判断する。
1 原告は、審決が、先願発明の要旨は、その特許請求の範囲に記載の回路において、「共通ベース接続のトランジスタ増幅回路は、共通の電源より抵抗を介してエミツタ・ベース接合及びベース・コレクタ接合が共に順方向にバイアスされている」、換言すれば、共通ベース接続のトランジスタ増幅回路は飽和モードに維持されているものと認定したのは誤りであると主張する。
成立に争いのない甲第三号証(先願発明の特許公報)によれば、先願発明の明細書の特許請求の範囲には、「駆動電気量を発生する回路と複数個のトランジスタスイツチング回路との間にそれぞれ共通ベース接続のトランジスタ増幅回路を挿入したことを特徴とする継電装置用論理回路」と記載されているが、この記載中、駆動電気量を発生する回路と複数個のトランジスタスイツチング回路との間に挿入される共通ベース接続のトランジスタ増幅回路については、前記特許請求の範囲の記載のみでは、その実質的に意味する構成を明確に把握することができない。そこで、先願発明の明細書における発明の詳細な説明や図面の記載を参酌して、その実質的に意味している構成を考察する。
まず、前掲甲第三号証により、先願発明の第一実施例として示されている第2図の回路について検討すると、前記の共通ベース接続のトランジスタ増幅回路に相当するものとして、トランジスタT1のコレクタとトランジスタT2及びT3のベースとの間にそれぞれ挿入されたトランジスタT1―1及びT1―2(そのベースをそれぞれ抵抗R1―1及びR1―2を経て電源Eの負端子に接続している。)が示されている。そして、この回路において、トランジスタT1のベースに負の入力があり(0の信号条件)、これが導通すると、前記トランジスタT1―1及びT1―2のエミツタ・ベース回路に順方向に電流I1―1及びI1―2が流れ、このときトランジスタT1―1及びT1―2のエミツタ・コレクタ間の電圧はトランジスタT2及びT3を遮断しうるような小さな電圧となり、トランジスタT2及びT3は遮断される。すなわち、トランジスタT2及びT3のベース・エミツタ間には殆んど電圧が印加されず、その出力側は遮断される。一方、トランジスタT1のベースに正の入力があり(1の信号条件)、これが遮断すると、トランジスタT1―1及びT1―2のベース・コレクタ回路に順方向に電流I2及びI3が流れ、これによつてトランジスタT2及びT3が導通する。このように前記の共通ベース接続のトランジスタ増幅回路を構成するトランジスタT1―1及びT1―2は、共通の電源Eより抵抗R1―1及びR1―2を介してそれらのエミツタ・ベース接合及びベース・コレクタ接合が共に順方向にバイアスされており、駆動電気量を発生する回路を構成するトランジスタT1の導通(そのベースに負の入力があるとき、すなわち、0の信号条件にあるとき)あるいは遮断(そのベースに正の入力があるとき、すなわち1の信号条件にあるとき)に応じて、順方向にバイアスされたエミツタ・ベース接合あるいはベース・コレクタ接合を通して電流I1―1及びI1―2あるいは電流T2及びT3が流れ、これによつてトランジスタスイツチング回路を構成するトランジスタT2及びT3を遮断あるいは導通させるように制御しているものとみることができる。
次に、同じく第二実施例として示されている第4図の回路について検討すると、右第4図の回路には、各素子の不平衡を補正するための抵抗R´1あるいはR´2が付加されているが、前記共通ベース接続のトランジスタ増幅回路を構成するトランジスタT1―1及びT1―2の基本的動作においては、前記第2図の回路となんら相違するところがない。すなわち、第4図においても共通の電源より抵抗を介してトランジスタT1―1及びT1―2のエミツタ・ベース接合及びベース・コレクタ接合が共に順方向にバイアスされており、駆動電気量を発生する回路を構成するトランジスタの導通あるいは遮断に応じて、前記順方向にバイアスされたエミツタ・ベース接合あるいはベース・コレクタ接合を通して電流I1―1及びI1―2あるいは電流I2及びI3が流れ、これによつてトランジスタスイツチング回路を構成するトランジスタの遮断あるいは導通を制御している。
そして、前掲甲第三号証によれば、先願発明の明細書及び図面には、前記共通ベース接続のトランジスタ増幅回路を構成するトランジスタT1―1及びT1―2の基本的動作について、右に述べた動作態様以外の動作態様で動作させる旨の記載は全くないことが明らかである。
そうであれば、結局、先願発明の明細書の特許請求の範囲に記載された「共通ベース接続のトランジスタ増幅回路」は、実質的に右に述べたような動作態様、すなわち、「共通の電源より抵抗を介してトランジスタのエミツタ・ベース接合及びベース・コレクタ接合が共に順方向にバイアスされており、駆動電気量を発生する回路における入力が0の信号条件にあるかあるいは1の信号条件にあるかに応じて、そのエミツタ・ベース回路に電流が流れるか、あるいはそのベース・コレクタ回路に電流が流れるかに切換えられる動作」を行なうように構成されているとみることができる。そして、かかる動作態様のもとでは、前述したように、共通ベース接続のトランジスタ増幅回路はそのトランジスタのエミツタ・ベース接合及びベース・コレクタ接合が共に順方向にバイアスされており、その結果、このトランジスタのエミツタ・コレクタ間の電圧が小さな電圧となつている、すなわち、その間が充分に導通状態に維持されているということができる。
しかして、本願発明の要旨において「結合用トランジスタを飽和モードに維持する」とあるのは、「結合用トランジスタのエミツタ・ベース間の接合及びベース・コレクタ間の接合を共に順方向にバイアスすることによつて、このトランジスタのエミツタ・コレクタ間を充分に導通状態に維持する」ことを意味するものであることは、原告の認めて争わないところであり、これに従えば、先願発明の前記共通ベース接続のトランジスタ増幅回路は飽和モードに維持されているということができる。
したがつて、審決が先願発明の要旨の認定にあたり、その特許請求の範囲に記載された「共通ベース接続のトランジスタ増幅回路」について、これを「共通の電源より抵抗を介してエミツタ・ベース接合及びベース・コレクタ接合が共に順方向にバイアスされており、駆動電気量を発生する回路における入力が1の信号条件にあるときは、そのベース・コレクタ回路に電流が流れ、異なる信号条件にあるときは、ベース・エミツタ回路に電流が切換えられる」ものとした点に誤りはない。
2 原告は、先願発明にあつては、共通ベース接続のトランジスタ増幅回路が複数あることが必須の要件であるのに対し、本願発明にあつては、前記トランジスタ増幅回路に相当する結合用トランジスタは一つ又は複数のいずれでもよく数に限定がない点で、先願発明とは構成が異るにもかかわらず、審決は右相違点を看過していると主張する。
しかしながら、成立に争いのない甲第二号証によれば、本願発明が先願発明と同様に、結合用トランジスタを複数個そなえたものをも含むことは明らかであり、その限りにおいて、本願発明と先願発明との間には相違がないから、原告の右主張は理由がない。
3 原告は、審決は相違点(2)についての判断を誤つたものであると主張する。
しかしながら、前掲甲第二号証によれば、本願発明は、結合用トランジスタを複数個そなえ、それに対応して同数(複数個)の出力トランジスタをそなえたものを含むことは明らかであるから(別紙図面(一)の第4図参照)、前記2で述べたのと同様の理由により、先願発明におけるトランジスタスイツチング回路が「複数個」である点を本願発明と先願発明との実質上の相違点とすることはできず、この点についての審決の判断に誤りはない。
4 原告は、審決は本願発明と先願発明の技術思想の相違を看過したものであると主張する。
しかしながら、前記1で述べたように、先願発明における共通ベース接続のトランジスタ増幅回路も、そのベース電流をエミツタに流す場合もコレクタに流す場合も、常に飽和状態に維持されていると解されるから、この点は、本願発明における結合用トランジスタの構成と差異がなく、したがつて、前記甲第二号証によつて認められる、本願発明において結合用トランジスタを飽和状態に維持することによつて奏するものとされる効果、すなわち、高速度のスイツチング動作を行なうことができると共に少ない回路素子数でパラメータに対する許容度を大きくすることができるという効果は、先願発明においても当然に奏しうる効果であるということができる。
また、本願発明は、前記2及び3で述べたように、結合用トランジスタ(先願発明における共通ベース接続のトランジスタ増幅回路に相当する。)及び出力トランジスタ(先願発明におけるトランジスタスイツチング回路に相当する。)を、先願発明と同様に、複数個そなえたものをも含むのであるから、この点でも両発明の構成に差異はない。そして、原告が先願発明の効果であるとするカーレントホツキングの発生回避の効果は、本願発明においても、前記出力トランジスタを複数個そなえたものにおいて奏する効果である。
右に検討したところによれば、本願発明と先願発明とは、結局において、その構成及び作用効果を異にするということはできない。したがつて、原告の前記主張は採用することができない。
三 よつて、本件審決の違法を理由にその取消を求める原告の本訴請求を失当として棄却することとする。
〔編註その一〕 本願発明の要旨および審決理由の要点は左のとおりである。
本願発明の要旨
ベース電極、コレクタ電極、エミツタ電極を有し、入力信号源と関連出力トランジスタのベース回路との間に接続されるに適した少くとも一つの結合用トランジスタを具え、この結合用トランジスタは、前記出力トランジスタと同じ導電型であり、前記結合用トランジスタのベース電極は、定電流源に接続され、この定電流源は、当該結合用トランジスタを飽和モードに維持するような電圧及び極性を有し、前記結合用トランジスタのエミツタ電極及びコレクタ電極の一方は、前記出力トランジスタのベース回路に接続され、且つ他方は、前記入力信号源に接続され、前記入力信号源に1の信号条件が存在するとき、前記結合用トランジスタのベース・コレクタ回路に電流を流し、異なる信号条件が存在するとき、前記結合用トランジスタのベース・エミツタ回路に電流を切換えるようにした結合トランジスタ回路。」(別紙図面(一)参照)
本件審決の理由の要点
本願発明の要旨は、前項記載のとおりである。ただし、右要旨において「結合用トランジスタを飽和モードに維持する」とあるのは、「結合用トランジスタのエミツタ・ベース間の接合及びベース・コレクタ間の接合を共に順方向にバイアスすることによつて、このトランジスタのエミツタ・コレクタ間を充分に導通状態に維持する」ことを意味する。
これに対し、本願発明の優先権主張日前に特許出願された特願昭三六―二二七〇一号の発明(昭和三六年六月二九日出願、特許出願公告昭三八―三三八五号、特許第四〇九三一〇号。以下、「先願発明」という。)の要旨について検討すると、次のとおりである。
先願発明の明細書の特許請求の範囲には、「駆動電気量を発生する回路と複数のトランジスタスイツチング回路との間にそれぞれ共通ベース接続のトランジスタ増幅回路を挿入したことを特徴とする継電装置用論理回路」と記載されているが、同記載の字句の一般的意味のみをもつては、同回路(特に、「共通ベース接続のトランジスタ増幅回路」の部分)の接続及び動作を明確に把握することができない。そこで、先願発明の明細書の発明の詳細な説明の項及び図面(主として第2図及び第4図)(別紙図面(二)参照)をみると、「トランジスタT1のコレクタを、トランジスタT1―1及びトランジスタT1―2のエミツタ・コレクタを経てそれぞれトランジスタT2及びT3のベースに接続し、トランジスタT1―1及びT1―2のベースをそれぞれ抵抗R1-1及びR1-2を経て電源Bの負端子へ、同様にトランジスタT2及びT3のコレクタを抵抗R2及びR3を経て電源Bの負端子へ接続する。しかして、トランジスタT1、T2及びT3の各エミツタを一括して電源Bの正端子へ接続してなるもの」において、「トランジスタT1のベースに負の入力があり、これが導通している場合には、トランジスタT1―1及びT1―2にはベース電流I1―1及びI1―2が流れ、それぞれのエミツタ、コレクタ間の電圧はトランジスタT2及びT3を遮断しうるような小さな電圧となる。しかして、トランジスタT1が非導通の場合には、トランジスタT2及びT3はそれぞれ破線で示すような電流I2及びI3が抵抗R1―1及びR1―2を通じて流れ、共に導通状態となる」と記載されている。そして、この記載によつて説明されている動作モード以外の、他の動作モードで「共通ベース接続のトランジスタ増幅回路」を動作させる旨の記載は、先願発明の明細書及び図面のどこにも見当らない。
したがつて、先願発明の要旨は、前記の特許請求の範囲に記載された回路において、上記説明のような動作をするもの、すなわち要約すれば、「共通ベース接続のトランジスタ増幅回路は、共通の電源より抵抗を介してエミツタ・ベース接合及びベース・コレクタ接合が共に順方向にバイアスされており、駆動電気量を発生する回路における入力が1の信号条件にあるときは、そのベース・コレクタ回路に電流が流れ、異なる信号条件にあるときは、ベース・エミツタ回路に電流が切換えられる」ものと認める。
仮に上記のように要約した動作が先願発明の範囲から除外されるべきものであるとすると、その他の動作について全く記載がない先願発明の明細書にあつては、先願発明の詳細な説明が事実上すべて失われることになり、著しく不都合である。いいかえると、このような明細書をもつて先願発明が特許されている以上、先願発明による回路を前記のような動作をするものと解釈するほかはない。
そこで、本願発明の要旨と先願発明の要旨とを対比する。
まず、各構成部分ごとに対比すると、次の点で両者の間に文言上の相違がある。すなわち、(1)本願発明における「入力信号源」と先願発明における「駆動電気量を発生する回路」、(2)本願発明における「出力トランジスタ」と先願発明における「複数個のトランジスタスイツチング回路」、(3)本願発明における「ベース電極、コレクタ電極、エミツタ電極を有し、入力信号源と関連出力トランジスタのベース回路との間に接続されるに適した少なくとも一つの結合用トランジスタであつて、この結合用トランジスタは前記出力トランジスタと同じ導電型であり、前記結合用トランジスタのベース電極は定電流源に接続され、この定電流源は当該結合用トランジスタを飽和モードに維持するような電圧及び極性を有し、前記結合用トランジスタのエミツタ電極及びコレクタ電極の一方は前記出力トランジスタのベース回路に接続され、且つ他方は前記入力信号源に接続され、前記入力信号源に1の信号条件が存在するとき前記結合用トランジスタのベース・コレクタ回路に電流を流し、異なる信号条件が存在するとき前記結合用トランジスタのベース・エミツタ回路に電流を切換えるようにした結合用トランジスタ」と先願発明における「駆動電気量を発生する回路と複数個のトランジスタスイツチング回路との間に挿入した共通ベース接続のトランジスタ増幅回路」、及び(4)本願発明の「結合トランジスタ回路」と先願発明の「継電装置用論理回路。」
しかしながら、上記の点は、いずれも単なる文言上の相違にすぎず、実質的にはなんらの相違も認められない。
上記(1)については、両構成部分は同一の技術内容を表わすものである。
上記(2)については、先願発明における「複数個」である点が本願発明と相違するようにみえるが、本願発明は「結合用トランジスタ」が複数個のものをも含むからには、それと同数であるべき「出力トランジスタ」もまた複数個のものをも当然に含むはずであるから、これらの構成部分を実質上区別することができない。
上記(3)については、本願発明における「飽和モード」の意味が「結合用トランジスタのエミツタ・ベース間の接合及びベース・コレクタ間の接合を共に順方向にバイアスすることによつて、このトランジスタのエミツタ・コレクタ間を充分に導通状態に維持する」ような動作を意味しており、且つ先願発明における「共通ベース接続のトランジスタ増幅回路」が「共通の電源より抵抗を介してエミツタ・ベース接合及びベース・コレクタ接合が共に順方向にバイアスされており、駆動電気量を発生する回路における入力が1の信号条件にあるときは、そのベース・コレクタ回路に電流が流れ、異なる信号条件にあるときは、ベース・エミツタ回路に電流が切換えられる」動作をするものであることをも考え合せれば、これらの構成部分の間に実質的な相違は認められない。請求人(原告)は、当業者が「トランジスタ増幅回路」という場合、当該トランジスタは不飽和モードで動作すると考えるのが普通で、飽和モードで動作させるものは包含されないと主張するが、そのような根拠は見出しえない。また、請求人(原告)は、先願発明の「トランジスタ増幅回路」はスイツチング速度を高めえない不飽和モードのものをも含んでいるから、本願発明の「結合用トランジスタ」と同一ではないと主張するが、共通ベース接続のトランジスタ増幅回路を不飽和モードで動作させるというような記載は、先願発明の明細書の特許請求の範囲にはもちろん、発明の詳細な説明の項及び図面等のどこにも記載されていないことであり、仮に字句自体の一般的意味として請求人(原告)が主張するようなことがありうるとしても、先願発明に関しては、それを要旨と認めることはできない。
上記(4)については、以上の(1)ないし(3)を含む構成に対して、その部分的特徴に着目して略称したか、単なる表現上の差異であつて、技術内容としてなんらの相違をもたらすものではない。
そして、以上のほかには、どの構成部分についても両者の間に相違点を見出すことができず、以上のすべての点を総合的に対比しても、発明の構成全体として、両者間に実質的な相違は認められない。
なお、請求人(原告)は、発明の効果に関し、本願発明はスイツチング速度の改善、パラメータ許容度の拡大(特に、集積回路において固有な問題である「フオールト」を回避すること)といつた効果を有するのに対し、先願発明の明細書及び図面には、それらの効果が記載されていないと主張する。しかし、前記のとおり両発明が構成において相違しないものである以上、たとえ各明細書及び図面の記載が発明の効果に関して一致しなくとも、両発明は客観的に同一の効果を達成しうるというべきである。特に「フオールト」を回避する点について考えると、集積回路として構成することは、本願発明の要旨にはないことであるから、先願発明と対比の限りではないが、仮に「集積回路として構成したならばフオールトを回避できる」という仮定のうえでの潜在的性質を本願発明の効果と呼ぶとしても、同様な性質は客観的には先願発明もこれを有するものと認められる。
右のとおりである以上、本願発明は、先願発明と同一であり、特許法第三九条第一項の規定により特許を受けることができない。
〔編註その二〕 本件に関する図面は左のとおりである。
別紙図面(一)
<省略>
<省略>
別紙図面(二)
<省略>